公演を終えた姉妹は、雨の夜に出会った猫と再会する。名前を呼んでみるけれど、猫が見ているのはソルメアリの手にある名刺だった。
姉妹が猫に出会うより前のことだった。
ミント色の卵にひびが入った。隙間から白い前足が一本出てきた。

小さな猫は殻に両足を乗せ、胸を張った。殻が転がった。猫もつられて、少し横に転がった。
しばらくそのままでいた猫が起き上がった。頭の上のオレンジ色の飾りと、二枚の緑の葉が遅れて揺れた。
今度は殻をよけて歩いた。
会場のドアを出ようとして、私はお姉ちゃんのバッグの紐をつかんだ。
「お姉ちゃん、あそこ」
畳まれた立て看板の陰から、白いしっぽがのぞいていた。雨の夜、私たちを見ていた猫だった。今日は地面が乾いていた。
私たちは二、三歩離れたところにしゃがんだ。猫があくびをすると、頭の上の緑の葉が揺れた。
私は目を細めて猫を見た。猫も目を細めた。
「私のこと、覚えてるみたい」
猫はそのまま目を閉じた。
「眠いだけじゃない?」
「覚えてても眠くはなるでしょ」
お姉ちゃんは笑うのをこらえて、口をきゅっと結んだ。
バッグのファスナーが開くと、猫の耳がぴんと立った。お姉ちゃんは次の練習時間を確かめようと、小さな手帳を取り出した。開くと、ページに挟んであった名刺が一枚、膝の上に滑り落ちた。
「それ、まだ持ってたんだ」
この前のステージでもらった名刺だった。角が折れていて、裏には私が鉛筆で書いた「終わったら動画を撮る」が残っていた。
「ここに挟んだまま忘れてた」
「自己紹介してて笑っちゃった日だよね」
「私はまず、言葉が出なかったのを思い出すけど」
お姉ちゃんは折れた角を爪で伸ばした。折り目は残った。
「でも、あの動画は消してないでしょ」
「いちばん私たちらしいって言ってたじゃない」
私は名刺を受け取って、裏返した。
「もう消さないよね?」
「うん」
お姉ちゃんは膝から滑り落ちそうになった手帳を持ち直した。
猫が一歩近づいた。私たちの顔より、私の手を長く見ていた。
「この子にも名前があったらいいね」
私は名刺を膝の近くまで下ろした。
「イウムってどう?」
「どうしてイウム?」
「『つながり』って意味。この子にまた会って、あの日の話の続きもしてるでしょ」
猫は前足をなめた。
「イウム」
猫が顔を上げた。
私はお姉ちゃんを見た。お姉ちゃんは私の手を見ていた。
「名刺、ちょっと動かしてみて」
右に動かすと、猫も右を見た。左に動かすと、顔も左を向いた。
お姉ちゃんが笑った。私は名刺を手帳に戻そうと手を伸ばした。
猫が鼻を寄せてきた。匂いを嗅ぐだけかと思った。小さな口で、折れた角をぱくりとくわえた。
「それ、食べ物じゃないよ」
思わず名刺を手放してしまった。猫は紙をくわえたまま、立て看板の後ろに向き直った。
「待って」
お姉ちゃんが手帳を閉じる間に、私は立て看板の脇から顔をのぞかせた。猫はすぐ裏にいた。名刺は口にも、足元にもなかった。
「落としたのかな?」
お姉ちゃんはスマートフォンのライトで地面を照らした。私は立て看板の下を探した。私がどいたところに、猫が座った。
猫が前足を見下ろした。
足元に雨水がたまっていた。軒先からしずくが落ちた。会場のドアが開き、二人が出てきた。
濃い色のジャケットを着た姉がバッグを持ち直した。妹は猫から少し離れたところにしゃがんだ。
「近づきすぎないで。驚くから。」
「わかってる。目の高さを合わせるだけ。」
妹は手を伸ばさなかった。猫が出てこられるように、前を空けていた。

猫は片方の前足を上げた。
雨音が途切れた。
「イウム。そこ、ちょっとどいてくれる?」
猫が私の顔を見上げた。横を指さすと、ほんの少し動いた。さっきまで座っていたところに、紙はなかった。
「もうちょっと」
猫がまた少し動いた。
お姉ちゃんは笑いながら、猫の脇を照らした。私も笑ってしまった。名刺はまだ見つからなかった。
「この子、どこに行ったか知ってるんじゃない?」
「さっきは、覚えてくれてるって言ってたでしょ」
私は猫の前に手を置いた。
「それはまだ、わかんないけど」
手を動かさずに待った。猫が近づいて、私の指先に鼻をつけた。
今度は、私の手には何もなかった。


